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札幌高等裁判所 昭和53年(ネ)132号 判決 1981年4月27日

控訴人・附帯被控訴人(原告)

上山順

ほか二名

被控訴人・附帯控訴人(被告)

高沢俊雄

主文

第一審被告の控訴に基づき、原判決の主文の甲事件についての第一項中、第一審被告に第一審原告上山順に対し金一四六一万円及び内金一三六一万円に対する昭和五〇年一〇月一三日から完済まで年五分の割合による金員を超える金員の支払いを命じた部分を取り消す。

右取消部分に係る第一審原告上山順の本訴請求を棄却する。

第一審原告上山順の控訴に基づき、原判決の主文の甲事件についての第二項中、第一審原告上山順に第一審被告に対し金六一万円及び内金五六万円に対する昭和五〇年一〇月一三日から完済まで年五分の割合による金員を超える金員の支払いを命じた部分を取り消す。

右取消部分に係る第一審被告の反訴請求を棄却する。

第一審原告上山順及び第一審被告のその余の控訴並びに第一審原告上山保及び第一審原告上山ユリ子の控訴をいずれも棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じこれを二分し、その一を第一審原告らの連帯負担とし、その余を第一審被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(第一審原告ら)

一  昭和五三年(ネ)第一三二号事件控訴の趣旨

1 原判決中第一審原告ら敗訴部分を取り消す。

2 第一審被告は第一審原告上山順に対し更に金一四七〇万三七二一円及びこれに対する昭和五〇年一〇一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3 第一審被告の右取消し部分に係る反訴請求を棄却する。

4 第一審被告は第一審原告上山保及び同上山ユリ子に対し更にそれぞれ金二五〇万円及びこれに対する昭和五〇年一〇月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

5 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

との判決及び右2、4項につき仮執行の宣言。

二  昭和五三年(ネ)第一九〇号事件控訴の趣旨に対する答弁控訴棄却の判決。

(第一審被告)

一  昭和五三年(ネ)第一三二号事件控訴の趣旨に対する答弁控訴棄却の判決。

二  昭和五三年(ネ)第一九〇号事件控訴の趣旨

1 原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。

2 第一審原告上山順の右取消し部分に係る本訴請求を棄却する。

3 第一審原告上山順は第一審被告に対し更に金三五三万五〇〇〇円及び内金二九一万五〇〇〇円に対する昭和五〇年一〇月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4 第一審原告上山保及び同上山ユリ子の右取消し部分に係る請求をいずれも棄却する。

5 訴訟費用は第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるので、これを引用する。

(第一審原告ら)

一  本件事故の態様につき、次のとおり補足する。

1 本件事故の発生場所は、県道であつて交通量もかなり多く、しかも、本件事故時は既に暗闇になつていた。加えて、馬は、その習性として、一般に夜間は落着きがなくなり、物音に対して非常に敏感になつて僅かの物音に対しても驚いて暴走したりするものである。しかるに、高沢サダは本件当歳馬を含む一〇頭の馬を一人で誘導していたものであつて、このこと自体、常識を外れた極めて危険な行為である。しかも、高沢サダは、右一〇頭の馬に手綱を付けることもなく、放馬の状態で先行していく右一〇頭の馬を、後方からはずした手綱を手に持つて追つていたものであり、到底各馬の動向に注意し制禦できる態勢にはなかつた。

2 本件事故は、本件当歳馬がなにかの物音(おそらく第一審原告上山順の自動二輪車の爆音)に驚いて本件農道から道道に飛び出し、本件車両の強烈なライトに目がくらみ、立ち止まつたまま動こうともしないでいるところに、第一審原告上山順がブレーキをかける暇もなく衝突したものである。

二  原判決の五枚目表六行目の全部を削除し、同七行目冒頭の「(一)」の上に「1」と付加する。

三  同七枚目表三行目と同四行目の間に、次のとおり付加する。

「(三) なお、第一審原告上山順が昭和五三年一月一五日厚真リハビリセンターに入所し、その後現在に至るまで看護附添費及び入院諸雑費についての本人の負担がないのは事実であるが、同原告の死亡するまで半永久的に無料で入所できるという保証はなんら存しない。」

四  同七枚目表四行目から同一四行目までを、次のとおり訂正する。

「3 逸失利益 金四一一四万五五二一円

第一審原告上山順は受傷時満一七歳であり、苫小牧工業高校に学んでいた。しかるに、同原告は本件事故により一〇〇パーセント稼働能力を失つた。したがつて、本件事故による逸失利益は、賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計の旧中・新高卒男子労働者の給与額によつて、一八歳から六七歳までの間就労可能として算定すれば次のとおりとなり、その合計は四一一四万五五二一円となる。

(一) 昭和五二年四月一日から五三年三月三一日までの間は、昭和五二年度賃金センサスの満一八歳の給与額により、一二六万二九〇〇円。

(二) 昭和五三年四月一日から五四年三月三一日までの間は、昭和五三年度賃金センサスの満一九歳の給与額により一三四万七七〇〇円。

(三) 昭和五四年四月一日から五五年三月三一日までの間は、昭和五四年度賃金センサスの満二〇歳の給与額により一九八万一四〇〇円。

(四) 昭和五五年四月一日以後の分は、昭和五四年度賃金センサスの年齢計の給与額により、生活費を五〇パーセント控除のうえ、新ホフマン方式による中間利息を控除すれば、三六五五万三五二一円となる。」

五  同七枚目裏一三行目の「右総損害額」の次に、「のうち」と付加する。

六  同一〇枚目表一一行目の末尾に、次のとおり付加する。

「すなわち、本件事故現場付近の道道を通つて馬の誘導を行つていた上山勝美及び森本晴夫のところでは、いずれも、親馬二頭の手綱をとつて先頭を誘導して当歳馬を放馬の状態でこれに追従させるという方法を、牧場への往路、厩舎への帰路ともにとつていたが、日没前には必ず厩舎に帰り着き夜間に道道を通過することはなかつたのみならず、誘導する馬も四頭程度に限られ、道道を通る距離も一二〇メートル位のものであつて、交通の障害となることはほとんどなかつた。これに比して、第一審被告のところで行つていたのは、一〇頭にも達する馬を、往路は一人で右上山勝美らのところと同様にして道道を三〇〇メートルにもわたつて誘導していたため、その列はしばしば一〇〇メートルの長さにも達して道幅一杯に広がり、交通の障害となつていた。また、帰路は、馬の帰巣本能に委せて、馬に手綱をつけることもなく、すべての馬を放馬の状態で先行させて、その後を一人で追つていくという方法をとつていたのである。しかも、普段から馬をしまうのが日没時刻ぎりぎりになつていたのが、本件事故時はこれがいつもより遅れて夜間になつてしまつたのにもかかわらず、なお平常通りに一人で後方から追つていたのである。したがつて、第一審被告の主張は前提において異なつており理由がない。また、第一審被告のもとにおける右のような誘導方法によつて過去六年間事故が発生しなかつたからといつて、右のような危険な誘導方法ではいずれにせよ早晩事故の発生が予測されたところであつて、これをもつて右誘導方法を正当化する根拠とはなり得ない。」

(第一審被告)

原判決の九枚目表七行目の「訴の利益がない。」の次に、「また、第一審原告上山順は、昭和五三年一月一五日、社会福祉法人北海道厚真福祉会厚真リハビリセンターに入所し、以後の看護付添費及び入院諸雑費については全額公的な支給を受け、本人の負担はないのであるから、右以後の看護附添費及び入院諸雑費の請求は理由がない。」と付加する。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  第一審原告上山順が、昭和五〇年一〇月一三日午後五時三〇分ころ、自動二輪車を運転して北海道沙流郡門別町字庫富二九八番地先道道三五一号線路上を門別方面から正和方面へ向けて進行中、第一審被告の所有に係る本件当歳馬(タツノホープ号)と衝突したこと、これにより本件当歳馬は即死したこと、本件事故当時、本件当歳馬は他の競走馬九頭とともに第一審被告の妻である高沢サダにおいて牧場から第一審被告方厩舎に収容する途中であつたことについては、いずれも当事者間に争いがなく、原審証人高沢サダの証言(第一、二回)、原審における第一審被告の本人尋問の結果(第一、二回)、弁論の全趣旨によれば、本件当歳馬は第一審被告において飼育、管理していたものであり、本件事故時にはその補助者として高沢サダが第一審被告方厩舎に収容しようとしていたものであることが認められるから、第一審被告は本件当歳馬の占有者であつたものと認められる。

二  第一審原告らは、それぞれ本件事故によつて被つたとする損害につき第一審被告に対し民法七一八条一項に基づき損害賠償を求めるものであり、第一審被告は、本件事故が第一審原告上山順の本件車両走行上の過失によつて発生したとして、これにより被つたとする損害につき第一審被告上山順に対し民法七〇九条、七一〇条に基づき損害賠償を求めるものである。しかして、第一審被告は、本件事故当日第一審被告にかわつて本件当歳馬を誘導していた高沢サダにおいては、門別地方の慣例に従い、先頭の二頭の馬を手綱をもつて誘導して本件当歳馬を含む他の八頭をこれに追従させていたものであつて、馬の温順な性質に従い相当な注意をもつてその保管をなしていたものであり、本件事故は専ら第一審原告上山順の過失に起因するものである旨主張するところ、第一審原告らは右主張をいずれも争い、本件事故は、高沢サダが放馬した馬一〇頭を後方から追うという夜間における馬の神経過敏な性質に照らして極めて危険な誘導方法をとつていたために、本件当歳馬が突然農道から本件道道上に飛び出し、第一審原告上山順としてはブレーキ等を操作する暇もなくこれに衝突したものである旨主張するので判断する。

1  成立につき争いのない甲第一号証、第三一、第三二号証、第四八号証、乙第一号証、第三ないし第七号証、第一〇ないし第一二号証、第一審原告ら主張のとおりの写真であることにつき争いのない甲第五号証、第一四号証の一ないし七、原本の存在及び成立につき争いのない甲第五〇号証、弁論の全趣旨により色分けによる記入部分が真正に成立したものと認められ、その余の部分については原本の存在及び成立につき争いのない甲第二五号証、弁論の全趣旨により色分けによる記入部分と書き込み部分が真正に成立したものと認められ、その余の部分については成立につき争いのない甲第二九号証、原審証人藤原弘喜、同森田美喜夫、原審及び当審証人門別武諭、原審(第一、二回)及び当審証人高沢サダの各証言、原審における第一審被告の本人尋問の結果(第一回)、原審における検証の結果によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  本件事故現場は、路肩部分を含め幅員約六・九メートル(車道部分の幅員約五・七メートル)で、両路側端及びセンターラインがペイント表示されたアスフアルト舗装の道道三五一号線が東西にほぼ直線に通じるところに、南方から右道道に至る幅員約四メートルの砂利敷きの農道がT字型に交わる交差点(以下「本件交差点」という。)であつて、高沢サダは、本件当歳馬を含む一〇頭の馬を誘導して右農道を北進して本件交差点に向かい、第一審原告上山順は、友人の門別武諭、藤原弘喜とともに、それぞれ自動二輪車を運転して右道道を西方(門別方面)から本件交差点に向かつていたものである。なお、本件事故は日没後三〇分余を経て後に発生したものであつて、付近は相当に暗くなつてきていたが、本件事故現場付近一帯に照明設備はなかつた。また、本件道道は、本件交差点の約一〇〇メートル西方の地点までの間、その西方一キロメートル余の区間にわたつて最高速度を四〇キロメートル毎時とする旨の交通規制が行われており、右道道を西方から本件交差点に向けて進行する場合、その直前五〇〇メートルほどの間、本件交差点に対する視野を妨げるものはないが、道道わきにススキが群生していたため、本件農道上の状況を見通すことは困難であつた。

(二)  高沢サダは、道道上を三台の自動二輪車が西方から本件交差点に向けて進行してきているのを、そのライトによつて認識しつつ、本件交差点の南方約五〇メートルの本件農道上にあつて、その誘導していた馬一〇頭中の親馬二頭が先行して既に本件交差点を左折し終え道道の路側帯付近を西方に向けて歩いていくのを追つて、本件当歳馬が農道の東端寄りから本件交差点内に弧を描くように入つていつて、本件交差点内を道道のセンターライン付近に沿つてゆつくりと歩きはじめるのを見ていた。

(三)  第一審原告上山順は、門別武諭を先頭にして、これに第一審原告上山順、藤原弘喜の順序に追従して、毎時約六〇キロメートルの速度でそれぞれ自動二輪車を運転して、本件交差点の手前約五〇〇メートルほどの地点の生活館前付近に至つたが、おりから同所付近をトラクターを運転して道道を東進中の第一審被告を門別武諭が追い越すと、第一審原告上山順において右追い越し途上の門別を更に追い越して先頭に立ち、そのままスピードをあげて本件交差点方向に向かつた。しかして、第一審原告上山順は、左側車線内にセンターラインから八〇センチメートルほどのところに進路をとつて、少なくとも毎時七〇ないし八〇キロメートルほどの速度で本件交差点に達したところ、おりから本件当歳馬が前記のとおりに本件交差点内に進入して、センターライン付近から第一審原告上山順の進路にかけて馬体を置いて西方を向き、やや斜めに右側部を西方に向けるように立つていたところに、制動をかけることもないまま、ほぼ正面方向から、本件当歳馬の右肩から右腹部に向けて、自車右側部を衝突させるに至つた。なお、第一審原告上山順は、少なくとも右衝突の寸前まで本件当歳馬の存在につきまつたく気がつかずにいた。

(四)  右衝突により、本件当歳馬は約一六メートルほど東方向にはね飛ばされ、頭部を西方向に向け左側部を下にした状態に横臥して、右肩部裂傷及び右下腹部交突大裂傷等の傷害を負つて即死するに至つた。第一審原告上山順は、右衝突の結果、後記認定のとおりの重傷を負つて、右のとおり横臥した本件当歳馬の後脚付近の道道上に投げ出されたほか、その運転に係る自動二輪車は、右側ハンドルが中央部分でほぼ直角に後方に折れ曲がり、前照灯のわくが縦細に変形するなどの損傷を受けて、更にその前方八メートルほどの地点まで達した。

(五)  門別武諭は、前記のとおり第一審原告上山順に追い越されて後、風圧を避けるべく前かがみの態勢になつてスピードをあげて第一審原告上山順の後に従い、本件交差点の約四〇メートルほど手前に差しかかつたおり、突如第一審原告の自動二輪車が路面との接触により火花を発して尾灯も消えたのを目撃してはじめて異常事態が発生したことを知り、急制動をかけて、ライトに照らされた中に転倒した第一審原告上山順と本件当歳馬とを認めながら道道の左路側帯に寄りつつ、前記第一審原告上山順の転倒地点から更に数メートル先に達してようやく停止した。その後を追従してきた藤原弘喜は、門別武諭が急制動をかけたので自らも急制動をかけて、門別武諭の自動二輪車にぶつかるようにして停止した。しかして、右両名は、本件当歳馬がなお後脚をばたつかせていたので、これによつて第一審原告上山順の頭が蹴られることのないよう、意識を失つて転倒していた同原告の身体を北側の路側帯付近まで移動させた。次いで、門別武諭が第一審被告方に本件事故の発生したことを連絡すべくその場を立ち去つたところに、高沢サダが到着した。

以上の事実が認められる。

右認定に反し、本件事故後本件当歳馬は東方(正和方向)に頭を向けて倒れていた、あるいは、左側部に傷害を受けていたとする原審証人藤原弘喜、同寺島義典、同船越静雄、原審及び当審証人門別武諭の各証言、甲第一号証、第三、第四号証、乙第三号証の各記載は、前掲乙第一号証、第一〇、第一一号証と対比して措信しない。乙第五号証中右認定に反し本件当歳馬が道道の北側車線内には入つていないというかの如き部分は、右乙第一〇、第一一号証と対比して措信しない。

原審及び当審証人門別武諭、原審証人藤原弘喜の各証言、甲第一号証、第五〇号証、乙第三、第四号証の各記載中、第一審原告上山順の走行速度に関する部分はそれぞれ区々であつて、前記認定を覆すに足りない。第一審原告上山順が毎時七〇キロメートル以上の速度を出していたとは考えられない旨の当審における第一審原告上山保本人の供述は、単なる推測を述べるものであつて、前記認定を左右するに足りない。

また、第一審原告らは、本件当歳馬は前認定に反し農道から突然本件交差点内に飛び出したものである旨主張し、乙第一号証中には右主張に沿う記載があり、当審における第一審原告上山保本人の供述中には馬の性質に照らして右主張のとおりであることも十分考えられる旨の部分があるけれども、いずれも推測に基づくものにすぎず、前記認定を覆すに足りない。

その他前記認定を左右するに足りる証拠はない。

2  以上認定の事実によれば、高沢サダは、本件当歳馬が車両の通行する本件道道上にセンターラインをまたぐまで出ていくのを放置し、はるか五〇メートルほど離れた地点にあつてこれを傍視していたものというほかなく、本件当歳馬が制禦可能な範囲から離脱するのに対しなんら有効適切な措置を講じることもなく、その結果、ついに本件当歳馬の本件道道上における行動を到底制禦し得ない状況に自らを置くに至つたものであることは明らかである。しかして、馬がその行動を制禦する人もないまま車両の通行する道路上にあるときは、本件のような事故が発生し、あるのは交通の妨害を生じ、ひいて他に危害を及ぼす虞れのあることは通常予測し得べきことであるというべく、馬の占有者としては、これを車両の通行することの予測される道路上に誘導するに際しては、右のような事態が発生することのないよう、誘導しようとする馬の各頭の行動を制禦できる態勢を保持して誘導することが最低限求められるものであり、本件事故時における高沢サダの誘導方法がこれに適合するものでなかつたことは明らかである。

原審(第二回)及び当審証人高沢サダの各証言、原審における第一審被告の本人尋問の結果(第一回)によれば、本件事故当時も、高沢サダは、従前から第一審被告のもとにおいて通例行われてきたとおりの方法で、その誘導に係る馬一〇頭のうち親馬二頭にのみ手綱を装着してこれを保持、誘導し、他の八頭は放馬の状態で追従させていたものであるが、本件農道を通過している間に、少なくとも右八頭のうちの親馬二頭と本件当歳馬とが高沢サダを追い抜いて五〇メートルほども先行して道道に入つていつたものであり、高沢サダにおいては、右のように誘導していた馬が先行していくことに対して、なんら異常な事態が発生したものとは認識していなかつたものであるとの事実を認めることができるところ、右認定の事実によれば、第一審被告のもとで通例行われてきた馬の誘導方法とは、そもそも一〇頭にも及ぶ馬全部の行動を制禦することは不可能な態勢のまま、ただ手綱をもつて保持した二、三頭の馬を誘導していく方向に他の各馬を進行せしめるだけのものであり、他の各馬は、誘導者の制禦の手を離れた状態でこれに追従しあるいは先行して目的地に向かうというものであつたと推認することができる。かかる誘導方法をとること自体、たとえこれが門別地方における慣例の如くなつていたとしても、道路上における馬の行動に有効、適切に対処し得ないまま事故を引き起こし、ひいて他に危害を及ぼす危険をはらむものとして、現今の道路交通事情に照らし、厳しくとがめられるべきものである。それを長年にわたり行つてきてもなんら事故が発生しなかつたからといつて、右判断を左右するものではない。なお、馬は概ね温順な性質を有し、道路上を進行するに際しても、概ね先頭馬に追従して道路左側端部を進行する習性があるにしても、これが常に信頼して対処し得るほどの確実な性質ないし習性であるものとは本件全証拠に照らしても認めるに足りず、道路上の刻々変化する状況に対応して事故の発生を未然に防止すべく、道路上にある馬の行動を有効、適切に制禦する態勢を常に保持しておくことが必要であることに変わりはない。

してみれば、第一審被告において馬の性質に照らし相当の注意をもつて本件当歳馬の保管をなしていたものとは到底認めることができないにとどまらず、本件事故は、本件当歳馬をなんら制禦できない状態のまま本件交差点に進入するにまかせる誘導方法をとつていたとの高沢サダの過失によつて生じたものと認むべきものである。

3  しかしながら、他方、前認定の事実によれば、第一審原告上山順において前方の確認を十分にしながら走行してきておれば、十分の余裕をもつて本件当歳馬が本件交差点に進入してセンターライン付近を歩行している状況を発見し得たものと認められるのであつて、第一審原告上山順においては、既に付近は相当に暗くなつてきたものであるにもかかわらず、前方に対する注視を欠いたまま法定速度を越える速度で本件車両を走行させて、本件当歳馬の存在に少なくとも衝突の寸前まで気付かないままこれに衝突するに至つたものであるから、本件事故が右の如き第一審原告上山順の本件車両走行上の過失によつて引き起こされたこともまた明らかである。

4  叙上の認定、判断によれば、第一審原告らにおいて本件事故によつて被つた損害は本件当歳馬が加えた損害ということができるから、第一審被告は右損害を賠償する義務があるところ、第一審原告らの損害中慰藉料の算定に当たつては第一審原告上山順の過失を考慮すべきことはもとより、その余の損害については、右過失を斟酌して、損害額の三割を賠償させるにとどめるのが相当である。また、第一審原告上山順は、第一審被告に対しその本件事故によつて被つた損害を賠償すべきものであるところ、第一審被告側の馬の誘廃上の過失を斟酌して、損害額の七割を賠償させるにとどめるのが相当である。

三  第一審原告上山順の損害について判断する。

第一審原告上山順が昭和五三年一月一五日以降現在まで厚真リハビリセンターに入所していることは当事者間に争いがなく、成立につき争いのない甲第七ないし第一一号証、第一六ないし第一九号証、第四七号証、乙第一五号証の一、二、原審における第一審原告上山ユリ子、原審(第一回)及び当審における第一審原告上山保の各本人尋問の結果によれば、第一審原告上山順は、本件事故当時、苫小牧工業高校二年に在学中の満一七歳の健康な男子であつたところ、本件事故により右急性硬膜上下血腫、広汎脳挫傷、脳幹損傷、頭蓋底骨折、右耳出血、右撓尺骨骨折、全身打僕等の傷害を負つて、即日(昭和五〇年一〇月一三日)、門別町字富川町の鎌田病院を経由して札幌市の中村脳神経外科病院に入院のうえ、右同日から同年一二月二六日までの間に数回にわたり開頭手術等の手術を受け、厚真リハビリセンターに入所するまで、中村脳神経外科病院に入院していたものであること、しかして、第一審原告上山順は、右手術後も意識を回復しないままいわゆる植物的状態で経過し、昭和五二年二月ころに至りようやく発声をみて以降僅かの回復を示しているものの、現在においても、本件事故による受傷の後遺症として、左片麻痺を含む両側上下肢の拘縮性麻痺のために自力による体位変換も不能の状態で、起立位、座位とも不能で移動は車椅子介助によるほかなく、排尿便は常に失禁状態にあつて、運動性失語症を有するほか、精神機能も全般に幼児段階に退行して高度の痴呆及び多幸の状態にあつて、日常生活にはほぼ全面的に他人の介助を必要としているものであり、これが将来著しく改善される可能性は絶無に近いとの事実を認めることができ、甲第五一ないし第五四号証の各記載は右認定を覆すに足りず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1  入院治療費 一五七万八〇四六円

第一審原告らは、昭和五〇年一〇月一三日から昭和五一年九月三〇日までの入院治療費として一八五万三〇七二円を要した旨主張するところ、成立につき争いのない甲第一二号証の一ないし二三、第二〇号証によれば、第一審原告上山順において右期間の入院治療費として一八三万三九九五円を要したことが認められるが、これを超える部分については、これを証するに足りる証拠はない。しかして、第一審原告らの自認するところに従い高額医療補助金として交付を受けた二五万五九四九円を右入院治療費から控除すると、入院治療費の損害は一五七万八〇四六円となる。

なお、昭和五一年一〇月一日以降の入院治療費は、全額公費負担になつたとして第一審原告らの請求しないところである。

2  近親者附添費 七万八〇〇〇円

原審における第一審原告上山ユリ子及び同上山保(第一回)の各本人尋問の結果によれば、昭和五〇年一〇月一三日から同年一一月二〇日までの三九日間、第一審原告上山順の父母である上山保及び上山ユリ子が看護のため附き添つたことが認められるところ、前認定の第一審原告上山順の傷害の程度、症状に照らし、右附添いは必要なものであつたと認められる。右附添いを要したことによる損害は、一日当たり二〇〇〇円として七万八〇〇〇円とするのが相当である。

3  附添看護料 一七一万六〇八五円

(一)  成立につき争いのない甲第一三号証の一ないし八、第一五号証の一ないし一三、原審における第一審原告上山ユリ子及び同上山保(第一回)の各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、昭和五〇年一一月二一日以降中村脳神経外科病院に入院中の全期間を通じ、専門の附添婦が付いて第一審原告上山順の看護に当たつてきたことが認められるところ、前認定の第一審原告上山順の傷害の部位、程度、症状等に照らせば、右のとおり専門の附添婦による看護が必要であつたものであることは明らかである。しかして、昭和五三年一月一五日以降現在に至るまでの間は、厚真リハビリセンターに入所した結果、第一審原告上山順において附添看護料の負担を要しなくなつていることについては、当事者間に争いがない。

(二)  前掲甲第一三号証の一ないし八、第一五号証の一ないし三によれば、昭和五〇年一一月二一日から昭和五一年九月三〇日までの間附添婦を付するために要した費用は一四八万六三一〇円(これには看護料金のほか当初の受付手数料及び交通費、看護料金の一割に相当する紹介手数料が含まれるけれども、いずれも附添婦を付するために必要な費用と認められる。)であることが認められる。しかして、第一審原告らの自認するところに従い右期間内の看護料分として高額医療補助により交付を受けた四四万六〇四七円を控除すると、右期間に係る附添看護料の損害は一〇四万〇二六三円となる。

(三)  昭和五一年一〇月一日から昭和五三年一月一四日までの間附添婦を付するために要した費用(前記のとおり紹介手数料を含む。)については、前掲甲第一五号証の四ないし一三によれば、昭和五一年一〇月一日から昭和五二年二月二八日までの一五一日間は一日当たり四八四〇円、同年三月一日から同年四月三〇日までの六一日間は一日当たり五〇六〇円であつたが、第一審原告上山順が重度身体障害者として認定されたことに伴い附添看護料として公費により補助されたと第一審原告らが自認する一日当たり三五七〇円を控除すると、第一審原告上山順の自己負担額は昭和五一年一〇月一日から昭和五二年二月二八日までは一日当たり一二七〇円、同年三月一日から同年四月三〇日までは一日当たり一四九〇円、同年五月一日から昭和五三年一月一四日までの二五九日間は少なくとも第一審原告らが主張する一日当たり一五一八円であつたものと認めることができる。したがつて、昭和五一年一〇月一日から昭和五三年一月一四日までの期間に係る附添看護料の損害は、六七万五八二二円となる。

(四)  右(二)及び(三)の合計は、一七一万六〇八五円となる。

4  入院諸雑費 二六万五五〇〇円

昭和五三年一月一五日以降は厚真リハビリセンターに入所した結果第一審原告上山順において入院諸雑費の負担を要しなくなつたことは当事者間に争いがない。前認定の第一審原告上山順の傷害の程度、入院、治療の経過等の状況に照らし、昭和五〇年一〇月一三日から昭和五三年一月一四日まで八二五日間の入院に伴う諸雑費の損害は、第一審原告ら主張のとおり、当初の九〇日間は一日当たり五〇〇円、その後の期間は一日当たり三〇〇円と認めるのが相当であるから、右損害は計二六万五五〇〇円となる。

5  将来の附添看護料等

第一審原告らは、更に将来の附添看護料及び入院諸雑費を損害として主張するところ、かかる損害の費目であつても、これを現在の請求として訴求することも許されると解するのが相当であるから、かかる損害に係る訴えは訴えの利益がない旨の第一審被告の主張は採用しない。

前認定のとおり、第一審原告上山順は将来にわたつても他人による介助を必要とするものであるところ、前掲乙第一五号証の一、二、当審における第一審原告上山保の本人尋問の結果によれば、第一審原告上山順が厚真リハビリセンターに入所している限りは、附添看護料、入院諸雑費の負担を要しないものであるけれども、いつまで入所していられるのかはまつたく予測し得ないものであることが認められ、いずれは同センターを出て自宅に戻り、あるいは、他の施設又は病院に移るに至るであろうことは推認するに難くないとはいえ、その時期のみならず、右第一審原告にとつて必要な他人の介助がいかなる形態でなされることになるのかについても、合理的な根拠をもつて予測することは不可能であるといわなければならない。したがつて、将来の看護料、入院諸雑費としての損害は、合理的な根拠をもつて算定し得ないものとして、認めるに由ないものである。ただ、右のような事情にあることは、慰藉料の算定に際し考慮するのが相当であると考えられる。

6  逸失利益 四一一四万五五二一円

前認定の事実によれば、第一審原告上山順は、本件事故によつて負傷しなければ、苫小牧工業高校を満一八歳で卒業のうえ、昭和五二年四月から四九年間稼働して通常の高校卒業男子労働者が得るところに従つて収入を得たであろうと見込まれるのを、本件事故の結果、その労働能力を完全に喪失したものと認められる。そして、その逸失利益を第一審原告ら主張の賃金センサスによつて算定するのは相当であると解されるところ、右逸失利益を、ライプニツツ方式によつて年五分の中間利息を控除(ただし、昭和五二年四月から一年間の分は近似的に本件事故後二年とし、以下順次繰り下げる。)のうえ、本件事故時の現価に換算すれば、

(一)  昭和五二年四月から一年間の分は、年間収入一二六万二九〇〇円に係数〇・九〇七〇を乗じた一一四万五四五〇円、

(二)  昭和五三年四月から一年間の分は、間収入一三四万七七〇〇円に係数〇・八六三八を乗じた一一六万四一四三円、

(三)  昭和五四年四月から一年間の分は、年間収入一九八万一四〇〇円に係数〇・八二二七を乗じた一六三万〇〇九七円、

(四)  昭和五五年四月から四六年間の分は、年間収入三〇六万七六〇〇円に係数一四・七一〇〇(すなわち、五〇年の累積係数一八・二五五九から四年の累積係数三・五四五九を減じたもの)を乗じた四五一二万四三九六円

となる。そこで、逸失利益は右金額の合計の範囲内である第一審原告ら主張の四一一四万五五二一円な下らないこと明らかである。

7  以上1ないし6の損害の合計は四四七八万三一五二円となるが、そのうち第一審被告において賠償の責めに任ずべきものは、第一審原告上山順の過失を斟酌して、一三四三万円(千円単位まで切り捨て)とするのが相当である。

8  慰藉料 二〇〇万円

本件にあらわれた一切の事情(第一審原告上山順の過失を含む。)を考慮すれば、本件事故による第一審原告上山順の慰藉料は二〇〇万円をもつて相当とする。

9  弁護士費用 一〇〇万円

第一審原告上山順が弁護士に委任して本訴を追行していることは記録に照らし明らかであるところ、本件にあらわれた一切の事情を考慮すれば、弁護士費用として第一審被告が賠償の責に任ずるのは一〇〇万円をもつて相当とする。

10  第一審原告上山順が第一審被告から一八二万円を受領していることは第一審原告らの自認するところであるので、これを弁済に充当すると、第一審被告は第一審原告上山順に対し右7ないし9の合計一六四三万円から右一八二万円を控除した残額一四六一万円及びうち弁護士費用を除く一三六一万円に対する本件事故の日である昭和五〇年一〇月一三日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。したがつて、第一審原告上山順の本訴請求は第一審被告に対し右支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却すべきものである。

四  第一審原告上山保及び同上山ユリ子の損害(慰藉料)につき判断する。

第一審原告上山順が同上山保及び同上山ユリ子間の次男であることは当事者間に争いがなく、前記認定の第一審原告上山順の負傷の程度、入院加療の状況、機能障害の程度と回復の見通し等の事情に照らせば、本件事故によつて第一審原告上山保及び同上山ユリ子が被つた精神的苦痛は、本件事故により第一審原告上山順が死亡したとした場合に匹敵するほどのものがあると認めることができる。しかして、右精神的苦痛に対する慰藉料としては、本件にあらわれた一切の事情(第一審原告上山順の過失を含む。)を考慮して、第一審原告上山保及び同上山ユリ子の各自につきそれぞれ五〇万円をもつて相当と認める。

したがつて、第一審被告は第一審原告上山保及び同上山ユリ子に対しそれぞれ右慰藉料五〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五〇年一〇月一三日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。右第一審原告らの請求は第一審被告に対し右支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきものである。

五  第一審被告の損害につき判断する。

1  第一審被告は、本件当歳馬の死亡によりその価格相当額三〇〇万円の損害を被つた旨主張する。

原審における第一審被告の供述(第二回)中には、第一審被告は昭和五〇年九月本件当歳馬を代金三〇〇万円の約定で田中三郎に売り渡したとの部分があり、乙第一四号証(売買契約証)の記載は右供述部分に沿うものである。しかしながら、原審における第一審被告の本人尋問の結果(第二回)によれば、右売買契約証は第一審被告において本件反訴を提起する直前に作成したものであることが認められ、その記載内容及び第一審被告の前記供述部分は原審における第一審原告上山保の本人尋問の結果(第二回)と対比し容易に措信することはできず、他に本件当歳馬が三〇〇万円相当の馬であつたことを証するに足りる証拠はない。

しかして、当裁判所は本件当歳馬の死亡により被つた第一審被告の右価格相当の損害は八〇万円と認めるのが相当であると判断するところ、その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決の二七枚目表四行目から同二八枚目表一行目までの記載と同一であるので、これを引用する。

(一)  原判決の二七枚目表五行目の「原告本人尋問の結果」を、「原審における第一審被告の本人尋問の結果(第二回)」と訂正する。

(二)  同表八行目の「九五万八、一九一円」の次に「(なお、昭和五〇年度の平均は一一二万一、九四一円)」と、同表九行目から一〇行目の「二一八万六、九八九円」の次に「(なお、昭和五〇年度の平均は二一四万一、〇六五円)」とそれぞれ付加する。

(三)  同表一〇行目の「原告」を、「第一審被告」と訂正する。

(四)  同二八枚目表一行目の「一〇〇万円」を「八〇万円」と訂正する。

したがつて、第一審被告の右損害のうち、第一審原告上山順において賠償の責めに任ずべきものは、その七割に相当する五六万円となる。

2  第一審被告は、本件当歳馬の死亡に伴う慰藉料として五〇万円の損害がある旨主張する。しかしながら、第一審被告においては、本件当歳馬を商品として将来市場において売却することを目的としてその飼育を行つていたものであることは弁論の全趣旨により明らかであるところ、第一審被告にとつて本件当歳馬がかかる売却を予定された商品として以上のなんらかの特別の価値を有するものであつたことを認めるに足りる証拠はない。かかる場合には、たとえ本件当歳馬の不慮の死によつてその所有者たる第一審被告にいくばくかの精神的苦痛があつたとしても、これは本件当歳馬の商品としての価格相当の損害につき賠償を求めることによつて償われる性質のものというべく、これとは別に慰藉料の支払いがなければ償い得ない損害が存するものと解するのは相当でない。

よつて、第一審被告の慰藉料の主張は失当である。

3  第一審被告が弁護士に委任して本件反訴を追行していることは記録に照らし明らかであるところ、本件にあらわれた一切の事情を斟酌すれば、第一審原告上山順が弁護士費用として賠償の責めに任ずべきものは、五万円をもつて相当と認める。

4  したがつて、第一審原告上山順は第一審被告に対し右1及び3の計六一万円及び弁護士費用分を除いたうち五六万円に対する本件事故の日である昭和五〇年一〇月一三日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。第一審被告の本件反訴請求は第一審原告上山順に対し右金員の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容すべきであり、その余は理由がないからこれを棄却すべきものである。

六  よつて、原判決は以上の説示に符合する限度で相当であるが、その余は相当でないので、第一審原告上山順及び第一審被告の各控訴は右相当でない部分の取消しを求める限度で理由があるから、これに基づき、原判決の右相当でない部分を取り消して、右に係る第一審原告上山順の本訴請求及び第一審被告の反訴請求を棄却し、右各控訴のその余の部分並びに第一審原告上山保及び同上山ユリ子の各控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 輪湖公寛 八田秀夫 矢崎秀一)

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